城といえば天守や櫓をイメージするが、天守の出現は城の歴史を見ればごく最近のことである。ここでは、古代の環濠集落から幕末の要塞まで、城と呼ばれる建造物の歴史を追っていく。
城の歴史をたどる
築城は国家から個人へ
城は、住居の周囲に堀や柵を廻らせて敵の侵入を防いだことに始まり、古代の城は国家が築城した。鎌倉時代の後半から国家ではなく、個人が城を築くようになった。
戦国時代になると、戦闘の拠点として多くの山城が造られたが、戦国時代の終盤に革命的な城が出現する。それが織田信長の安土城で、豪華絢欄な天主を持っていた。
戦いのためではなく、権力を見せ付けるための城の誕生だ。慶長3年(1598)、秀吉が死去すると、天下は不安定となり、数多くの城が造られた。近代城郭の多くは、慶長年間に築城されている。徳川の世になると城に対して様々な制限がなされた。幕末になり異国からの脅威に再び城が造られるようになる。
明治になると、多くの城がとり壊され、戦災によりさらに多くの城が失われたが、高度成長期以降、各地で城が復興されていった。
環濠集落
城は、敵から身を守るために住居の周りに堀や柵などを巡らしたものである。周囲に濠を巡らせた環濠集落は、城の先祖といってもよい。九州から南関東、北陸までの広い地域でこうした環濠集落が見られる。
環濠集落が広がったのには、稲作が朝鮮半島からもたらされたことが関係している。労働力確保のために集団で住む必要が生まれたこと、水利権などの争いがあったからだと考えられている。
古代の城
古代の城は、中国大陸や朝鮮半島の影響が色濃く残っている。国の中心であった藤原京や平城京、平安京は、古代中国の都城と呼ばばれる都の造り方に倣ったものである。都の中心に政庁を置き、周囲を城壁を巡らす。
大宰府や多賀城はそのミニチュア版であった。古代の山城は、「日本書紀」に記述のある朝鮮式山城と、記述のない十六の神籠石式古代山城とに分けられる。いずれも朝鮮半島の山城の影響を受けた。
朝鮮式山城は四国や九州に分布し、神龍石式古代山城は西日本に残っている。
防塁
鎌倉は、海の交通の要衝であったが、残りの三方を険しい丘陵に囲まれた天然の要害であった。鎌倉に入るには七か所の切通しと海だけしか通り道はない。切通しの周囲には堀切や監堀もあった。
やがて、海外から宣戦布告され攻め込まれるという大事件が起こった。元寇である。幕府は再度の来襲に備えて九州の現在の福岡県福岡市の海岸沿いに石築地を築いた。これが現在も残る元寇防塁である。二度目の元寇襲来の際には、この防塁が元の上陸を阻んだ。
館と山城
守護・地頭の制度は鎌倉幕府の地方支配を支えていた。地頭に任命された御家人は、現地での実質的な支配を行うため、任地に館を構えるようになった。館の周囲に水堀を掘り、土塁を築き、柵を建てて、中心部に館を構えた。
足利市にある鑁阿寺は当時の館の面影を今に伝えている。鎌倉以前の城は、国家による築城であった。しかし、鎌倉時代になると武士たちが、自らのために城を築くようになる。財力がないため小規模で、有事の場合を想定し、山に城を造った。傭兵集団はこうした山城を拠点として台頭してくる。こうした傭兵集団のなかでも有名だったのが、楠木正成であった。
天下普譜の城
天下普請と参勤交代で、大名の財力を削いだのが、江戸幕府の支配の特徴だといわれる。両方とも豊臣秀吉が行っていたことを制度として整えたに過ぎないが、天下普請によって、江戸城、大坂城、名古屋城といった巨大な城が造られたのも事実である。各大名がそれぞれ持ち場を分担した。石垣に残る〇やメなどの記号は、その名残りである。
大坂の陣により豊臣氏が滅亡した後に慶長20年(1615)に一国一城令が出された。領国内の城は、一つを残して破壊しなければならず、幕府に無届の城の修理や新築も禁止された。
厳しいように思われる一国一城令であったが、例外もあった。伊達領内に仙台城だけではなく白石城が例外として認められた。また、犬山城は、尾張徳川家領内のもう一つの城である。
幕末の要塞
幕末になり、日本近海を異国の船が出没するようになる。幕府には異国からの攻撃に備えて、台場や箱館奉行所(五稜郭)などの建設を進めた。五稜郭は西洋の軍学書を研究して造られた。台場は東京の観光施設の密集し
ている「お台場」だけでない。
幕府だけでなく、各藩でも同じような施設が造られた。神戸には和田岬砲台が残っている。また、土佐藩では当時江戸藩邸のあった鮫洲に台場を築いた記録が残っている。また、兼ねてから築城の許可を願い出ていた松前氏に許可を下ろした。これが結果的には最後の日本式の城となった松前城である。海からの攻撃を考えて造られたが、背面からの攻撃には弱く、戊辰戦争で簡単に落城している。戊辰戦争を経て、明治になると城は無用の長物として取り壊されていった。
沖縄独自の城「グスク」
グスクは沖縄の城のことで、沖縄諸島に点在し、世界遺産に登録されている。首里城、今帰仁域、中城城、座間味城、勝蓮城などが有名である。他の地方の石垣と違い、石垣が壮大で曲線を描いている。また、上部がアーチ状になった棋門も他の地方では見られない。水堀がないことも特徴である。城内の建物は、中国大陸や朝鮮半島の宮殿建築に影響されていた。首里城ではそうした建物が復元されている。