苦難の幼少期から徳川家康の家臣へ
1561年、今の静岡県浜松市で、今川家の家臣であった井伊直親の嫡男として誕生しました。ところがこの翌年、つまり直政が2歳の時に、父である直親が仕えていた今川家の当主から謀反の疑いをかけられ謀殺されてしまいます。
今川氏は嫡男である直政の命も狙っていた為、直政は今川氏に怯えながら母や井伊家を継いだ直虎(女城主として有名)に守られながら親戚や寺院など転々とする苦難の幼少期を過ごすことになります。しかしそんな苦難も遂に転機が訪れます。
1575年、直政が14歳の時に母や直虎の力添えで、生涯の主君となる徳川家康との出会いが実現し家臣になることが出来ました。家臣となった直政はそれこそ命がけで働きます。家康の伊賀越えや「井伊の赤備え」など数々のエピソードを作り、「徳川四天王」、また「徳川三傑」の一人として大活躍し1602年、42歳でこの世を去ります。