織田信長の側近中の側近として本能寺で共に死した森蘭丸の人生とは

織田信長の最強の秘書官として生涯を生き抜く

1565年、現在の愛知県一宮市で、6人兄弟の3男として誕生します。父である森可成(もりよしのり)は、古くから織田信長に仕えており、槍の名手として活躍していましたが、森蘭丸がわずか5歳の時に宇佐山城の戦いで戦死をしてしまいます。

 

信長は残された子供たちを哀れに思い、蘭丸が13歳の時、他の弟たちと一緒に小姓として抱えました。小姓というのは、主君の身の回りのことだけでなく、来客の対応や使者として動いたりする、今でいう「秘書」のような役目です。

 

森蘭丸の立ち居振る舞いはとても上品で堂々としており、その仕事ぶりに対する信長の信頼は絶大で、朝廷への使いもこなしていました。織田家家臣に限らず敵の武将までがその振る舞いの見事さに感嘆したとの記録があり、まさにこの小姓という役にうってつけの人物でした。1582年、蘭丸が18歳の時、本能寺の変が起こり織田信長と共にこの世を去ります。

織田信長と衆道関係にあった?

森蘭丸を語るエピソードは実に沢山あります。そのいくつかを紹介します。まずは衆道関係にあったという話です。これはとても有名な話ですが、森蘭丸は立ち居振る舞いが美しいだけでなく、顔立ちもとても美しかったようです。そのせいかわかりませんが、信長の身の回りの世話をしていくうちに夜のお供もする関係になったと言われています。

 

ただ戦国時代には衆道というのは当たり前のようにありましたので、特別不思議なことではありませんので、家臣なども批判的な感情を持つ者はいませんでした。

障子を閉めなおす

ある日のこと、信長が蘭丸に「障子を閉めてくれ」と言います。蘭丸が障子のところにいくと障子は閉まっていました。すると蘭丸は一度障子を少し開けて、わざと「ピシャッ」と音がなるようにと閉めました。そして信長に「障子は閉まっていました」と伝えると信長は「閉まる音がしたぞ」と。

 

蘭丸は「障子が開いていると勘違いした殿(信長)が、恥をかくと思いましたので、わざと一度開けて音を立てて閉めました」と、正直に話をしたという忠誠心の熱さを物語っています。

織田信長の爪を数える

信長が爪を切った時のことですが、その爪を捨てるように蘭丸に命じます。すると蘭丸は爪の数が10個有るはずが9つしかなく、一つ足りないことに気が付き、残りの爪を探したそうです。

 

当時爪や頭髪などは呪術に使われるので、それを心配したと言われていますが、主君の爪の数を数える程気が利く家臣は織田家以外も含めて蘭丸以外にはいないでしょう。

わざと転ぶ

ある僧侶が持ってきた大量のみかんを見せるために蘭丸が運んでいる時、信長が「そんな大量のみかんを運んでいると転んでしまうぞ」と注意すると蘭丸は本当に転んでしまいました。

 

その様子を見ていた家臣が「なぜ殿の言うことを聞かなかったのだ。一度床に置けば転ぶことはなかったはずだ」と言われた蘭丸は「殿が転ぶぞ。と言われた事を正しかったことだと証明するために転んだのです」と話をし、それを聞いた家臣は感嘆せざるを得なかったようです。

本能寺の変で主君と共に逝く

実は本能寺の変には森蘭丸が原因の一つだと言われています。ある日、信長が蘭丸に褒美を授けようとした際、蘭丸の希望は「近江坂本六万石」と言い、信長もその答えを予想していました。

 

この領地は元々森蘭丸の父である森可成の領地で、この領地を取り戻したいと思っており、信長も蘭丸のそうした願望を把握していたと思われます。しかしこの領地を当時所有していたのが、本能寺の変の首謀者、明智光秀なのです。その後、明智光秀は家臣の面前で信長から叱責をされ最大の侮辱を受けることがあり、その半月後に本能寺の変が起きます。

 

因果関係は定かではありませんが、この本能寺の変で、蘭丸は信長を守るために最後まで戦いましたが、多勢に無勢、敵に圧倒され、信長は自害。蘭丸も18歳の生涯をここで閉じました。

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