「愛」の字を自身の兜に掲げ、上杉家を支えた直江兼続の人生とは

上杉家の家臣でありながら天下にその存在感を示す直江兼続

1560年、現在の新潟県魚沼市で、樋口兼豊の長男として生まれました。その後わずか4歳の時に当時9歳の上杉景勝に仕えることになります。1578年に上杉謙信が亡くなると、「御館の乱」という後継者争いが起こります。

 

上杉景勝が主君になったものの、この後戦国時代の中で最も激動の嵐が訪れますが、この難を乗り越えます。豊臣政権下では直江兼続は秀吉からとても信頼され、それと共に上杉景勝の評価も上がり、現在の福島県に120万石という領地を任せられることになります。

 

これは当時では徳川家康、毛利元就に次ぐ3番目に大きな所領を持つ大名になり、徳川家康などと同じ五大老になります。しかし秀吉が亡くなると、同じ五大老である徳川家康との関係に少しずつ亀裂が生じるようになり、関ケ原の戦いでは敵として戦うことになります。西軍(豊臣方)が大敗すると、上杉家は減封されますが、その後も兼続は上杉家存続の為に領地を守り、徳川家との関係改善に務めます。そして1619年、60歳でこの世を去ります。

上杉謙信死後の御館の乱

1578年、直江兼続18歳の時に上杉謙信が亡くなります。上杉謙信には実子がなく、二人の養子を抱えていました。その一人が兼続の主君である上杉景勝であり、もう一人は北条家からの養子である上杉景虎です。

 

上杉謙信は死去する際、後継ぎを指定しなかったため、後継者争いが起こります。これを「御館の乱」と言いますが、この争いで兼続の主君である上杉景勝が勝利を収め、17代目上杉家の後継ぎになります。

 

しかし、内乱は完全に治まらず反乱は続きました。同時に織田信長にも牙を向けられるようになり、まさに上杉家は絶体絶命のピンチに陥ります。しかしこのような時に思ってもいないことが起きます。本能寺の変です。これにより織田信長がこの世を去ると、戦国時代のパワーバランスが一気に変わってきました。

豊臣秀吉に従う

上杉家は織田信長亡き後、豊臣秀吉に従うことになり、直江兼続は秀吉の家臣である石田三成とも友好を深めていきました。この頃より、兼続は戦続きで疲弊した上杉家の内政に力を入れるようになり、見事に財政を立て直しました。その様子は上杉謙信の時代に劣らないほどだったそうです。

 

また、豊臣秀吉からは伏見城の築城に携わるように指示されるなど、絶大の信頼を受けていました。その後主君の上杉景勝が現在の福島県に120万石の所領を与えられると、景勝の家臣である直江兼続にも6万石の所領を与えました。一国を預かる大名の家臣にも所領を与えるという例はなく、豊臣秀吉の兼続への信頼の厚さを伺い知ることが出来ます。

直江状と関ヶ原

豊臣政権下での上杉景勝は、徳川家康などと同じ五大老として活躍していました。豊臣秀吉がこの世を去ると、徳川家康の専横が目立つようになり、上杉景勝は家康の抑止力になるような存在でしたが、領地の福島県での内政事業や新たな城の築城などの国作りに取り組んでいたこともあり、なかなか家康とコミュニケーションが取れずにいました。

 

そんな時、家康からその築城について「反乱を企てている」と言われ、説明するために京都への上洛を求められます。これに対して兼続が上洛拒否と反論の手紙を書きます。これが有名な「直江状」と言われます。この内容についてはまだ分析が続いているようですが、家康の「言いがかり」を論破する痛快な手紙だったようです。

 

家康はこの直江状を読み激怒し、上杉討伐の兵をあげることになります。家康が兵をあげると家康を挟み撃ちするように石田三成が兵をあげ、関ヶ原の合戦につながります。

関ヶ原敗戦後、愛で民を救った兼続

関ヶ原の合戦で西軍(豊臣方)が敗戦すると、直江兼続は上杉家が滅亡するのを防ぐため主君の上杉景勝と共に、家康の元へ謝罪に行きます。家康はその謝罪を受け入れますが、領地を現在の山形県米沢市に移し、石高も120万石から30万石に減らしました。

 

この時、所領が4分の1になったので家臣を全員連れていくのは無理だという声が多くありましたが、兼続はそれに反対して全員連れていくことを訴え実現しました。移転後は小さい町に多数の家臣が住むようになり、始めのうちは混乱したようですが、兼続の見事な町づくりのおかげで30万石の石高が50万石ぐらいまでになり、更に氾濫しやすい最上川に堤防を築くなどの治水工事にも力を入れ、見事に町と家臣、そして民を自身の兜に掲げた「愛」の力で救って見せました。

 

政治においても徳川家とのパイプを太くするために尽力し続け、上杉家存続の基礎を作り上げました。そして1619年、兼続60歳の時、主君の上杉景勝に先立つようにこの世を去りました。

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